|心が震えたあの日のことを,あなたは覚えていますか?
夜空を見上げて,無数の星を目にしたとき.
森の奥で,風に揺れる葉の音だけが響いていたとき.
誰もいない雪原に,ただ一人立ち尽くしたとき.
説明のつかない感情が,胸の奥に広がる瞬間があります.
それは,**センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)**と呼ばれる感覚.
自分がこの自然の中にいる,
いや,この世界の一部であることを思い出すような不思議な感動.
ジギングは,まさにその感覚をもう一度,俺に思い出させてくれるそう思います.
見えない海の底にジグを落とし,
金属の塊に命を吹き込み,
潮の流れを感じ,魚にの気配に集中しながら,魚信を得る一瞬を待つ.
自分にとってジギングとは,センス・オブ・ワンダーを最も感じる釣りなのです.
|釣れない釣りに,なぜ惹かれるのか
ジギングをしていると,たまに言われます.
「もっと簡単に釣れる方法があるのに」
いやそれ完全にお節介.
と同時に事実でもあるし,事実ではない.なかなか表現の難しい感覚に陥ります.
ジギングは体力うことも多く,釣果として報われない日も多いです.
一発大物狙いの釣りでは朝から晩まで無反応ということもあります.
それでも私は,また明日もジグをしゃくるのです.
なぜか.
それはこの釣りが,“問いを投げ続ける釣り”だからです.
どんな魚がいるかどうかもわからない,海の底に向かって,
自分の仮説と想像をジグに込めて,試し続ける.
たとえ釣れなくても,その時間には意味があると信じているからです.
|金属の塊に,命を吹き込むという行為
ジグはただの金属の塊です.
それを落とし,しゃくり,止めて,また落とす.
その繰り返しに,何が面白いのかと聞かれることがあります.
でも,この動作の中にこそ,
ジギングの面白さと奥深さのすべてが詰まっています.
・ジャークの強弱
・ラインテンションの抜き方
・フォールの姿勢制御
・しゃくる間隔,リーリング……etc
細やかなひとつひとつの要素,動作が,水中でのジグの挙動を変え,
それが,魚の反応を大きく左右します.
つまり,魚が喰ってくるというのは,自分の操作が魚に届いた証なのです.
その一匹には,確かな意味と手応えがあります.
|見えない世界に,自分だけの情景を描く
ジギングは,視界のない釣りです.
水深30m,50m,100m──1000m
魚の姿も,ベイトの動きも,地形の起伏も,目では見えません.
それでも自分は,竿から伝わる感覚で潮の流れや魚のよりを読み,さらに風の変化や魚探など
色々な情報から,自分の中に“海中の情景”を描いていきます.
「この反応は○○かもしれない」
「根の先のヨレで魚がついているはずだ」
「しゃくる抵抗が変わった今が潮がわりのジアイかもしれない」
その仮説に,ジグを通して答えを求めるのがジギングです.
そして,たった一回の「ドンッ」というアタリが,
その情景を鮮明にしてくれます.
|ジグという道具に宿る“思想”
ジグはシンプルな道具に見えて,
実はとても繊細で,設計者の意図が詰まっています.
例えば,
- フォール重視のワイドボディ?
- 潮抜け重視のロングスリム?
- スライド特化のセンターバランス?
- 抵抗を抑えたスピード系?
わずかな重心の違い,エッジの角度,
塗装のカラーやホロの配置にいたるまで,
ジグは“水中でどう動くか”,”どう見えるか?”を考えて設計された思想の塊です.
そのジグが,自分の手の動きで思った通りの挙動を見せてくれたとき,
それに魚が応えてくれたとき,
そこには,確かな“つながり”があります.
|釣れない日が,釣り人を育ててくれる
ジギングにおいて,大型狙いは釣れない日は日常です.
釣れないからこそ,しゃくり方を変え,ジグを変え,考え続けます.
「今のシャクリは速すぎたかもしれない」
「リールの巻き取りとしゃくりのテンポが合わない」
「ジグを変えるか,しゃくりを変えるか」
そうやって,一日中“自分の答え”を探し続ける時間になります.
釣れなかったからこそ,得られる気づきがある.と思います.
その気づきの積み重ねが,獲物を狙って掛ける力につながるのだと信じています.
だから,釣れなくても意味がある.
それがジギングです.
|釣りを極めた人が,たどり着く釣り
ジギングを始める人の中には,
長年さまざまな釣りをやってきたベテランも多くいます.
磯も,船も,渓流も,泳がせも.
一通りの釣りを経験してきた人が,最後にジグを手に取る.
そういう人がいることを知っています.
竿とリールと糸とその先につながったジグ,それについたハリ.
究極的にシンプルな仕掛け.
故にジギングには,“ごまかし”がききません.
魚を釣る力も,潮を読む力も,操作する技術も,
すべてが自分の手の中に委ねられる釣りです.
だからこそ,
「もう一度,釣りと真っ向から向き合いたい」
そう思ったとき,
ジギングは,原点に戻れる場所になるのです.
|なぜ俺は,明日もジグをしゃくるのか
正直ジギングに正解は無数にあると思います.
人の数だけジャークがあり,人の数だけ考え方があり,向き合い方がある.
自分のジャークを求めてるからこそ,今日もまた海に出たくなるのです.
昨日は釣れなかった.
でも,今日の潮は違う.
今日の光,今日の風,今日の自分の仮説が,
“あの一瞬”を呼び込むかもしれない.
その可能性を信じられる限り,
私はジグを結び,海に出ます.
なぜ俺は,明日もジグをしゃくるのか.
それは,自分の想像と技術が,見えない海とつながる瞬間を信じているからです.

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