釣り人は,なぜ魚を釣りたいのか
ジギングという釣りは,不思議な釣りです.
ただ魚を釣るだけなら,他にもいろいろな釣りがあります.
エサ釣りもある.泳がせもある.タイラバもある.キャスティングもある.
もっと楽に魚を釣る方法も,もっと確率の高い釣りも,たぶん世の中にはたくさんあります.
それでも,なぜかジグを落とす.
何百グラムもある鉛の塊を,水深100m,200m,時には300m〜1000m超の海底まで落とし,それをひたすらしゃくる.
ふと冷静に考えてみると,かなり非効率です.
体力も使う.道具も高い.船代もかかる.あまり釣れない日も多い.
しかも,釣れなかったときの言い訳だけは無限にあります.
潮が悪かった.
ベイトがいなかった.
船の流しが合わなかった.
今日は魚の機嫌が悪かった.
もちろん,それらは事実であることも多いです.
しかし,本当にそれだけでしょうか.
ジギングを続けていると,だんだん悟りに近い状態になってくるように思います.
この釣りで試されているのは,腕だけではありません.
知識でも,体力でも,タックルでもありません.
もっと奥にあるもの.
つまり,自分が何を求めて釣りをしているのかです.
魚が食べたいのか.
結果が欲しいのか.
人に認められたいのか.
技術を磨きたいのか.
自分の釣りを完成させたいのか.
それとも,海という巨大なものと向き合いたいのか.
今回は,心理学でよく知られる「マズローの欲求5段階説」を,釣り,特にジギングに当てはめて考えてみたみたいな記事を更新します.
これは学術的に厳密な話ではありません.
ただ,ジギングを長く続けてきた人なら,どこかで「分かる」と思ってもらえるんじゃないかと思います.
そして,一部の人には少し耳の痛い話にもなると思います.
なぜなら釣り人は,自分では「魚を追っている」と思いながら,実際には別のものを追っていることが多いからです.
そもそも,なぜジギングは欲求が見えやすいのか
釣りには,いろいろなジャンルがあります.
その中でもジギングは,釣り人の欲求がかなり露骨に出る釣りだと思っています.
理由は簡単です.
ジギングは,釣果が「自分の操作」によって結果が生まれたように感じやすい釣りだからです.
もちろん,実際には船長のポイント選び,潮,水深,ベイト,魚の活性,海況,時合いなど,釣り人の力ではどうにもならない要素が山ほどあります.
それでもジギングには,どこか「自分が食わせた」という感覚があります.
ジグを選ぶ.
落とす.
着底を取る.
しゃくる.
間を作る.
フォールさせる.
また巻く.
バイトが出る.
合わせる.
掛ける.
獲る.
単純なすれば,ジギングはこのような動作になります.
この一連の流れの中に,自分の判断と操作が入る余地が多い.
だからこそ,釣れたときは嬉しい.
そして釣れないときは,妙に悔しい.
エサを置いて待つ釣りよりも技術介入要素が多いと感じます.
(エサ釣りもいろいろテクニックあり,腕の差は当然出ます)
ジギングは,釣り人の内面がそのままジグの動きに出ると思っています.
焦っている人のジグは,たいてい落ち着きがない.
迷っている人のジグは,動きに一貫性がない.
釣りたい欲が強すぎる人は,時合いでもないのに無駄にしゃくり続ける.
逆に分かっている人は,しゃくっていない時間にも意味がある.
ジギングは,ただの釣法ではありません.
ある意味で,釣り人との海の向き合い方が表面に投影される釣りと感じます.
だからこそ,マズローの欲求段階説に当てはめると,かなり面白い構造が見えてくるように思います.
第1段階:釣果欲求
とにかく釣りたい,ボウズだけは嫌だ
ジギングにおける最初の欲求は,やはりこれだと思います.
とにかく魚を釣りたい.
これは最も原始的で,最も正直な欲求です.
そして,釣り人なら誰でもここから始まります.
初めてジギングに行く人.
まだ青物を釣ったことがない人.
初めてカンパチを狙う人.
初めて中深海でアカムツを狙う人.
高い船代を払って遠征に行く人.
誰だって,まずは釣りたい.
これは当たり前です.
ボウズは嫌です.
周りが釣れているのに自分だけ釣れないのは,もっと嫌です.
船中で自分だけアタリがない時間は,かなり精神にきます.
特にジギングは,周りとの差が見えやすい釣りです.
同じ船,同じポイント,同じ水深,同じタイミングで釣っているのに,釣る人は釣る.
釣れない人は釣れない.
この現実は,なかなか残酷です.
「今日は魚がいない」と言いたい.
でも隣では釣れている.
「ジグが合っていない」と思いたい.
でも同じようなジグで釣られている.
「たまたまだ」と言いたい.
でもその人は毎回釣っている.
こうなると,単なるボウズ以上に,自分の未熟さを突きつけられます.
だから最初の段階では,釣果がすべてになります.
釣れたか.
釣れなかったか.
何匹釣れたか.
何キロだったか.
写真に残せる魚だったか.
人に見せられる釣果だったか.
この段階の釣り人にとって,釣行の価値はかなり単純です.
釣れた日は良い日.
釣れなかった日は悪い日.
これは分かりやすいですが,かなり危うい価値観でもあります.
なぜなら,釣りの満足度が完全に魚任せになるからです.
魚が釣れれば機嫌がいい.
魚が釣れなければ不満が残る.
船長のせいにする.
潮のせいにする.
ポイントのせいにする.
タックルのせいにする.
最後には,自分にはセンスがないと思い込む.
釣果欲求は大事です.
しかし,ここだけにいると,ジギングは苦しい釣りになります.
なぜなら,ジギングはいつでも釣れる釣りではないからです.
むしろ,釣れない時間の方が長い釣りです.
この段階にいる人は,釣れない時間を「無駄」と感じます.
しかし,上の段階に進む人は,釣れない時間の中から情報を拾います.
ここに,大きな差があります.
第2段階:安定・安全欲求
釣りを成立させたい,トラブルなく帰りたい
釣果欲求の次に来るのは,安定と安全への欲求です.
これは地味ですが,ジギングでは極めて重要です.
むしろ,ここを軽く見ている人は伸びません.
ジギングは,釣果以前に成立させなければならない要素が多すぎます.
船酔いしない.
タックルを壊さない.
ノットを抜けさせない.
ラインを高切れさせない.
根掛かりを減らす.
オマツリを避ける.
着底を取る.
ライン角度を見る.
船の流れを読む.
ドラグを適切に設定する.
フックをまともに結ぶ.
魚を掛けた後に慌てない.
安全に帰る.
これらは,華やかなテクニックではありません.
SNSで褒められるような話でもありません.
しかし,実際にはここが土台です.
釣れない人の多くは,食わせ方以前に,この土台が崩れています.
たとえば,着底が分かっていない.
これは致命的です.
ジギングにおいて,着底が分からないということは,今ジグがどこにあるのか分かっていないということです.
ジグがどこにあるか分かっていないのに,魚に食わせる操作を語るのは順番が逆です.
ライン角度を見ていない.
これも厳しいです.
ジグが真下にあるのか,斜めに流されているのか.
底を取れているのか,吹き上がっているのか.
自分のジグが船の下に入っているのか,前に出ているのか.
それが分からなければ,ジグの動きもレンジも想像できません.
ノットに不安がある.
これも弱いです.
大物が掛かったとき,何よりもまず大事なのはノット(システム強度)です.
信頼できるノットなら,魚とのやり取りに集中できます.
不安なノットなら,心のどこかで「切れるかもしれない」と思っている.
その不安は,ドラグ設定にも,魚へのプレッシャーのかけ方にも出ます.
結果として,攻めきれません.それだと獲れる確率は下がります.
ジギングは,基本攻める釣りだと思っています.
しかし,攻めるためには安定,安心が必要です.
自分のタックル,自分のノット,自分の判断,自分の体力,船上での立ち回り.
そこに最低限の信頼がないと,本当の意味では攻められないと思います.
この第2段階を越えると,釣りが少し落ち着くのではないか?と考えます.
ボウズを恐れすぎなくなる.
根掛かりを恐れすぎなくなる.
隣の人に惑わされすぎなくなる.
魚が掛かっても慌てなくなる.
船上での自分の位置が分かるようになる.
派手さはありません.
しかし,この段階を固めた人は強いです.
逆に言えば,ここを飛ばして「釣れるジャーク」や「最強ジグ」ばかり探している人は,かなり遠回りをしていると思います.何よりも疑うべきはまず自分の土台.
はっきり言えば,釣れない理由を道具やメソッドに求める前に,自分の基礎が本当に安定しているかを疑った方がいいです.
第3段階:所属・承認欲求
仲間に認められたい,釣る人だと思われたい
ここから,釣りは少しややこしくなります.
第1段階では魚が欲しい.
第2段階では釣りを安定させたい.
そして第3段階では,人に認められたいという欲求が出てきます.
これは釣り人なら,ほぼ全員が持っていると思います.
持っていないふりをしている人も,たぶん持っています.
私にも普通にあります.ないとおかしいぐらいに思ってます.
船長に認められたい.
常連に一目置かれたい.
釣り仲間に上手いと思われたい.
SNSで反応が欲しい.
ブログを読んでもらいたい.
大きな魚の写真を見せたい.
「あの人は釣る」と言われたい.
道具選びのセンスを評価されたい.
かなりストレートに書きましたが,大小,強弱はあれ,自分の心と素直に向き合ってみれば,これらは自然な感情なのでは?と思います.
釣りは一人で完結しているようで,実はかなり社会的な遊びです.
特にジギングには,ステータス性があります.
トカラに行った.
男女群島に行った.
玄界灘でヒラマサを釣った.
中深海でアカムツを釣った.
カンパチの何キロを獲った.
何グラムのジグをしゃくった.
どこのメーカーのロッドを使っている.
どこの船に乗っている.
こういう情報には,単なる釣果以上の意味が乗ります.
そして,それを見た人も,無意識に格付けすると思います.
あの人は本気だ.
あの人は遠征組だ.
あの人は上手そうだ.
あの人は金をかけている.
あの人は釣っている.
あの人は分かっている.
釣り人は,魚だけではなく,他人の視線の中でも釣りをしています.
ここで問題なのは,承認欲求そのものではありません.
承認欲求に支配されることです.
釣りが好きだったはずなのに,いつの間にか「人に見せるための釣り」になる.
魚との対話だったはずなのに,いつの間にか「釣果写真のための釣り」になる.
海に出たかったはずなのに,いつの間にか「他人より上だと証明するための釣り」になる.
これはかなり危険です.
もちろん,釣果を発信することは悪くはないと思います.
ブログを書くことも,SNSに写真を載せることも,釣り仲間と語ることも,全部楽しいことで,社会的な行動だと思います.それを過度に制限する必要はないと思います.
自分の釣りを誰かに見てもらいたいという気持ちは,ごく自然です.
しかし,ここで自分に問うべきことがあります.
自分は本当に魚を見ているのか.
それとも,他人の目を見ているのか.
ここをごまかすと,釣り自体が歪むように思います.
人より大きい魚でなければ満足できない.
珍しい魚でなければ意味がない.
遠征でなければ価値がない.
高い道具でなければ語れない.
釣れなかった釣行を隠したくなる.
失敗を認めたくなくなる.
これは,釣りをしているようで,実は自分の虚栄心を補強しているだけです.
厳しい言い方をすれば,承認欲求で止まっている釣り人は,魚を釣っているのではありません.
釣りを通して,他人の評価を釣っているだけです.
ただ,この段階を否定する必要はないと思います.
誰でも一度は通る道だと思います.
むしろ,承認欲求を完全に無視する方が不自然です.
人は誰かに認められたい生き物です.
釣り人も同じです.
大事なのは,そこにいる自分を自覚することです.
「俺は魚が好きだから釣っている」と言いながら,実はSNSの反応を気にしていないか.
「純粋に釣りを楽しんでいる」と言いながら,実は他人の釣果に嫉妬していないか.
「道具にこだわっている」と言いながら,実は見栄で買っていないか.
ここを直視できる人は,次に進めます.
直視できない人は,ずっと他人との比較の中で釣りをすることになります.
それは,かなり疲れる釣りです.
第4段階:技術・探究欲求
なぜ釣れたのか,なぜ釣れなかったのかを知りたい
ジギングが本当に面白くなるのは,おそらくここからです.
釣果そのものよりも,釣果に至るプロセスが気になり始める.
大きい魚を釣ったかどうかより,なぜその魚が食ったのかを考えるようになる.
釣れなかった日にも,意味を見出せるようになる.
この段階に入ると,ジギングは単なる魚釣りではなく,仮説検証思考になります.
なぜ,あのタイミングで食ったのか.
なぜ,同船者だけ釣れたのか.
なぜ,フォールで当たったのか.
なぜ,速いワンピッチには反応しなかったのか.
なぜ,スローな誘いに変えた瞬間に食ったのか.
なぜ,ジグの色ではなく形状が効いたのか.
なぜ,フックを変えたら掛かり方が変わったのか.
なぜ,潮が緩んだ瞬間に魚が口を使ったのか.
なぜ,同じ水深でもライン角度で釣果が変わったのか.
こういう問いが出てきます.
この段階の釣り人は,釣れた魚をただ喜ぶだけでは終わりません.
釣れた理由を考えます.そして,釣れなかった理由も考えます.
ここが大きな違いです.
第1段階の釣り人は,釣れないと落ち込みます.
第3段階の釣り人は,釣れないと人の目が気になります.
第4段階の釣り人は,釣れない理由を知りたくなります.
これはかなり大きな成長です.
ジギングには,無数の変数があります.
潮流
水深
地形
ベイト
水温
濁り
光量
船の流れ方
ライン角度
ジグ重量
ジグ形状
ジグの素材
フォール速度
ロッドの反発
リールの巻き量
入力の強さ
ジャーク幅
ポーズの長さ
フックサイズ
アシストラインの長さ
ドラグ値
魚の遊泳層
魚の捕食姿勢
….etc
ぱっと思いつくだけでこれだけ出てきます.
まだまだ,たくさん釣果に影響する要素はあります.
これらが絡み合って,一つの魚からのバイトが生まれます.
だからジギングは難しい.
そして,だからこそ面白い.
単純に「このジグが釣れる」という話ではありません.
どの水深で,どの潮で,どの角度で,どの魚に,どの動きが効いたのか.
そこまで考えなければ,本当の意味での再現性は生まれません.
釣り人はよく「パターン」という言葉を使います.
しかし,その多くはかなり雑です.
今日は赤金が良かった.
今日はシルバーだった.
今日はロングジグだった.
今日はスローだった.
もちろん,それも情報です.
でも,そこで止まると浅いと感じます.
本当に見るべきなのは,なぜその色が効いたのか,なぜその形が効いたのか,なぜその動きが魚の捕食スイッチに触れたのか,という部分です.
この段階に入ると,釣り人はだんだん道具の見方も変わってくるように思います.
新製品だから買うのではなく,自分の仮説に必要だから買う.
流行っているから使うのではなく,その海の条件に合うから使う.
誰かが釣ったから真似するのではなく,自分の中で意味があるから試す.
これは大きな違いです.
道具に使われる釣り人から,道具を使う釣り人になる.
情報に振り回される釣り人から,情報を選別する釣り人になる.
偶然釣れた人から,再現しようとする人になる.
ジギングにおいて,本当の上達はここから始まると思います.
第5段階:自己実現欲求
自分の釣りを完成させたい
さらに進むと,釣り人は他人の釣果や流行にあまり振り回されなくなると思います.
もちろん,完全に気にならないわけではありません.
人間なので,他人の大物写真を見れば多少は感情は揺れます.いいなと思ったり,自分も釣りたいと思ったり,良かったねと思ったり.色々だと思います.
よく釣れている情報を見れば,少しは釣りに行きたくもなります.そういう潮回りで自分ならどういう釣果だったのか気になります.
しかし,釣りの軸が少しずつ自分の中に移っていくものだと思います.
自分は,どういう釣りをしたいのか.
自分は,どういう魚を釣りたいのか.
自分は,どういう過程で魚に近づきたいのか.
自分は,どんな一匹に価値を感じるのか.
この段階では,釣果よりも納得度が重要になります.
同じ魚でも,価値が違ってきます.
船長に言われたジグを落として,言われた通りにしゃくって釣った魚.
それももちろん嬉しいです.
しかし,自分で潮を見て,水深を見て,ライン角度を見て,ジグを選び,操作を組み立てて食わせた魚は,また別の意味を持ちます.
サイズだけではない.
魚種だけでもない.
写真映えだけでもない.
その一匹に,
自分の思考が入っていたか.
自分の判断が入っていたか.
自分の釣りとして納得できるか.
ここが大事になってきます.
この段階の釣り人は,だんだん「釣らせてもらった魚」と「釣った魚」の違いを感じるようになります.
正直,ジギングにおいて,ここまで到達できる人は極僅かのように思います.
なぜなら,海の上では船長の力が圧倒的に大きいからです.
ポイントに連れて行ってもらっている以上,完全に自分だけで釣った魚などありません.
そこを勘違いすると,ただの傲慢になります.
しかし同時に,釣り人側の判断と操作が入る余地も確実にあります.
その部分をどれだけ深められるか.
そこに,自分の釣りが出ます.
自己実現の段階にいる釣り人は,釣果自慢よりも,自分の釣りの完成度を見ています.
今日は釣れたけれど,内容は雑だった.
今日は釣れなかったけれど,判断は悪くなかった.
今日は一匹だけだったけれど,狙い通りの一匹だった.
今日は数は出たけれど,再現性はまだ見えていない.
こういう評価ができるようになります.
これは,かなり成熟した釣り方です.
釣れたか釣れなかったかだけで判断しない.
大きいか小さいかだけで判断しない.
人に褒められるかどうかだけで判断しない.
自分の中に基準がある.
これが自己実現の段階です.
釣りが上手くなる人は,おそらく釣行の記憶の解像度が高いです.
釣れた魚だけを覚えているのではなく,釣れなかった流し,外した判断,違和感のあった潮,隣の人との差,魚探の反応,ラインの入り方,ジグの重さの違和感まで覚えています.
そういう蓄積が,自分の釣りを作っていきます.
第6段階:自己超越欲求
魚を釣る自分を超えて,海そのものに向かう
マズローは後年,5段階のさらに上に「自己超越」という考え方を置いたとも言われます.
これをジギングに当てはめるなら,かなり重要な段階になります.
ここでは,欲求の中心が少しずつ「自分」から離れていきます.
自分が釣りたい.
自分が上手くなりたい.
自分が認められたい.
自分の釣りを完成させたい.
そういう段階を越えて,海,魚,仲間,船,地域,文化,次世代に意識が向いていきます.
若い釣り人に技術を伝えたい.
無駄に魚を殺したくない.
必要な分だけ持ち帰りたい.
船長や漁業者との関係を大事にしたい.
海を荒らしたくない.
釣り場を残したい.
釣り文化を残したい.
自分が受け取ってきたものを,次に渡したい.
この段階に来ると,心がかなり静かになると思います.
釣りの中心が「俺が,俺が」ではなくなってくる.
海に出られること自体に価値を感じる.
朝焼けの中でジグを落とせることに意味を感じる.
潮が動かない日にも,海の沈黙を受け入れられる.
釣れない日にも,釣果以外の何かを持って帰れる.
これは綺麗事に聞こえるかもしれません.
しかし,長く釣りを続けている人ほど,おそらく分かる感覚だと思います.
若い頃,未熟な頃は,魚を支配したいと思う.
どうにかして釣ってやろうと思う.
自分の技術でねじ伏せたいと思う.
でも,長く海に出ていると,分かってくると思います.
海は,こちらの都合では動かせない.
魚も,こちらの欲や都合では口を使わない.
どれだけ道具を揃えても,どれだけ知識を入れても,最後には分からないものが残る.
そして,その分からなさこそが,釣りの深さなのだと思います.
ジギングは,最初は魚を釣るための釣りです.
しかし,続けていくうちに,自分の小ささを知る釣りになっていきます.
潮の前では,人間はのできることなど些細なことだ.
海の前では,釣り人の理屈など小さく感じてしまう.
魚の前では,人間の計算など簡単に外れる.
でも,だからこそ面白い.
完全に分かってしまったら,きっとジギングはここまで面白くありません.
分からないから,また落とす.
分からないから,また考える.
分からないから,また海に出る.
ジギングの最終地点は,魚を完全に理解することではないのかもしれません.
理解しきれないものと向き合いながら,それでも自分の感覚を磨き続けること.
そこにあるのだと思います.
ジギング版・欲求段階を整理すると
ジギングにおける欲求の段階は,ざっくり言えばこうなります.
| 段階 | 欲求 | ジギングでの姿 |
|---|---|---|
| 第1段階 | 釣果欲求 | とにかく釣りたい,ボウズを避けたい |
| 第2段階 | 安定・安全欲求 | トラブルなく釣りを成立させたい |
| 第3段階 | 所属・承認欲求 | 船長,仲間,SNSに認められたい |
| 第4段階 | 技術・探究欲求 | なぜ釣れたのか,なぜ釣れなかったのかを知りたい |
| 第5段階 | 自己実現欲求 | 自分の釣りを作り,納得できる一匹を釣りたい |
| 第6段階 | 自己超越欲求 | 海,魚,文化,次世代へ意識が向く |
もちろん,人は常に一つの段階だけにいるわけではありません.
一日の釣行の中でも,欲求は行ったり来たりするものだと思います.
朝一は「今日は釣果より内容だ」と思っていても,隣で大型カンパチを掛けられた瞬間に,承認欲求や釣果欲求が出てくることだってあるでしょう.
釣れない時間が続けば,「何でもいいから食ってくれ」と思うこともあります.
SNSで他人の釣果を見て,無駄に焦ることもあります.
それでいいと思います.
人間なので,そんなに綺麗にはできていません.
ただ,自分が今どの欲求で釣りをしているのかを知っているかどうか.
ここが大事です.
釣果が欲しいなら,釣果が欲しいと認めればいい.
認められたいなら,認められたいと認めればいい.
上手くなりたいなら,釣れなかった原因から逃げない方がいい.
自分の釣りを作りたいなら,他人の真似だけでは足りない.
海と長く付き合いたいなら,自分の欲だけで魚を見ない方がいい.
ごまかすほど,釣りは浅くなります.
直視するほど,釣りは深くなります.
自分は今,どの段階で釣りをしているのか
この話を自分に当てはめると,なかなか痛いです.
「自分はもう釣果だけを追っていない」と思いたい.
「承認欲求なんかでは釣っていない」と言いたい.
「自分の釣りをしている」と言いたい.
でも,本当にそうか?と自問自答することがあります.
釣れない日が続いたとき,心の中はどうなっているか.
隣の人だけ釣れたとき,素直に見られているか.
SNSで他人の大物写真を見たとき,焦っていないか.
自分の釣果写真を載せるとき,反応を期待していないか.
高い道具を買うとき,本当に必要だから買っているのか.
釣行記を書くとき,失敗をきちんと書けているか.
ここから逃げない方がいいとは思っています.
かといって,過剰に書きすぎるのも良くないと思っており,釣行記事の構成にはいつも悩まされています.なので,いっそ動画で現場のライブ感を伝えたほうが伝わるかな?と思って,実は数テラバイトの動画ストックもあります.しかし,これも生々しすぎるので,面白くないのかなと思ってあくまで自分の釣行反省用として今は使っています.
釣り人は,自分の釣りを美化しがちです.
「自然と向き合っている」と言いながら,実際には他人と比較している.
「探究している」と言いながら,実際には釣れなかった言い訳を探している.
「こだわり」と言いながら,実際には変化する勇気がないだけだったりする.
これは自分にも当てはまるときはあると思います.常にそうではないとは思いたいものですが.
そして,たぶん,多くの釣り人に刺さるはずです.
でも,そこを見ないと上達しないのではないか?と思います.
釣りの上達とは,単にジャークが上手くなることではありません.
自分の弱い欲求に気づくことでもあると考えます.
なぜ焦るのか.
なぜ見栄を張るのか.
なぜ同じ失敗を繰り返すのか.
なぜ釣れない理由を外に探すのか.
なぜ本当は分かっていないのに,分かったふりをするのか.
このあたりを深堀りすると,釣りはかなり変わっていくと思います.
ジギングは,魚を釣る技術であると同時に,自分の精神,技術の未熟さを海に映される釣りでもあります.
そこが面白い.
そして,そこが怖いとも感じます.
釣果だけを追う釣りの限界
釣果を追うことは悪くありません.
むしろ,釣果を追わない釣りなど,どこか嘘くさいです.
釣りに行く以上,魚は釣りたい.
これは当然です.
ただし,釣果だけを追う釣りには限界があります.
釣れた日は楽しい.
釣れなかった日はつまらない.
大物なら価値がある.
小物なら価値がない.
写真映えすれば成功.
映えなければ失敗.
この価値観だけで釣りを続けると,いずれ苦しくなります.
なぜなら,釣果は自分では完全に制御できないからです.
どれだけ準備しても釣れない日があります.
どれだけ上手い人でも外す日があります.
どれだけ良い船に乗っても,海が合わなければ終わります.
制御できないものに自分の満足を全部預けると,精神が不安定になります.
釣果は大事です.
しかし,釣果だけでは足りません.
釣れなかった日に何を見たか.
狙いは合っていたのか.
判断は遅れなかったか.
道具選びは適切だったか.
ジグの重さは潮に合っていたか.
ライン角度を見ていたか.
同船者との差を観察できたか.
次に試すべき仮説が残ったか.
こういうものを持って帰れる人は,ボウズの日でも前に進みます.
逆に,魚しか見ていない人は,ボウズの日をただの空白にします.なんなら記憶から消してしまいます(笑.
釣れない日を経験値に変える人と,釣れない日を愚痴で終わらせる人.
両者の差は,どんどん開いていきます.
ジギングの本当の面白さは,欲求が変化していくことにある
ジギングを始めたばかりの頃は,とにかく魚が釣れれば嬉しいです.
青物が走るだけで興奮する.
根魚が上がるだけで嬉しい.
初めての魚ならサイズに関係なく記憶に残る.
それでいいと思います.
最初から悟ったような釣りをする必要はありません.
でも,続けていくと欲求は変わります.
ただ釣りたいだけでは満足できなくなる.
なぜ釣れたのかを知りたくなる.
自分の操作で食わせたくなる.
自分の海を理解したくなる.
自分の釣りを言語化したくなる.
やがて,自分の釣りが誰かの役に立てばいいと思うようになる.
この変化こそが,ジギングの深さだと思います.
魚を釣るために始めたはずなのに,いつの間にか,自分の感覚を磨くことが目的になる.
大物を求めていたはずなのに,いつの間にか,一匹の意味を考えるようになる.
他人に認められたかったはずなのに,いつの間にか,自分の中の納得を求めるようになる.
これが釣り人としての成熟だと考えます.
そして正直なところ,ジギングを長く続けるなら,この成熟がないと厳しいと思います.
釣果欲求と承認欲求だけで走り続けるには,ジギングは負荷が重すぎます.
金もかかる.体力も使う.時間も使う.精神も削られる.
釣れない日にも意味を見出せないと,続きません.
他人との比較から少し離れられないと,疲れます.
自分の釣りを育てる感覚がないと,流行と情報に振り回されます.
だからこそ,ジギングはただ魚を釣るだけではなく,欲求を育てていく釣りなのだと思います.
そういった面でもジギングが好きです.
最後に
ジギングは,ジグを沈める釣りです.
しかし実際には,沈んでいくのはジグだけではないのかもしれません.
釣りたいという欲.
負けたくないという欲.
認められたいという欲.
分かりたいという欲.
上手くなりたいという欲.
自分の釣りを作りたいという欲.
海と長く付き合いたいという欲.
それらが,PEラインの先にぶら下がって,深い海へ落ちていくと考えると感慨深いです.
そして,ときどき魚が食う.
ときどき何も起こらない.
ときどき根掛かりする.
ときどき切られる.
ときどき,自分でも驚くような一匹に出会う.
そのたびに,自分の欲求の形が少しずつ見えてきます,変わっていきます.
自分は何を求めているのか.
何に焦っているのか.
何を恐れているのか.
何に満たされるのか.
どんな一匹なら,心から納得できるのか.
ジギングの面白さは,魚が釣れることだけではありません.
魚を通して,自分の内側が見えてしまうことにあります.
だから,この釣りに自分はハマっていて,やめにくいのだと思います.
ただの鉛の塊を落としているだけなのに,そこには釣り人の欲求が全部乗っている.
ただしゃくっているだけなのに,その動きにはその人の焦りも,迷いも,経験も,思想も出る.
ただ魚を掛けているだけなのに,その一匹には,その人がどの段階で釣りをしているかが現れる.
釣果を求めることから始まり,安全に釣りを成立させることを覚え,人に認められたい自分を知り,技術を探究し,自分の釣りを作り,最後には海そのものに向き合っていく.
ジギングとは,そういう釣りなのかもしれません.
最初は,魚を釣りたくてジグを落とす.
しかし,長く続けていると分かってきます.
本当に深いところに沈んでいるのは,魚だけではない.
自分自身もまた,その海の中に沈んでいるのだと.

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